無料ブログはココログ

« 2014年12月14日 - 2014年12月20日 | トップページ | 2015年1月11日 - 2015年1月17日 »

2015年1月4日 - 2015年1月10日の1件の記事

明けましておめでとうございます

遅すぎるきらいもありますが、新しい年がスタートしました。

今日から学校も始まり、ようやく一人でパソコンに向かう時間もできました。

――というのも、家に子供がいると「将棋やろう、ウノやろう、トランプやろう」と遊びに誘われて、ゆっくりできないんです。「おなかが空いた」攻撃もある。

「学校に行くの、面倒くさい」と子供はぼやいていましたが、その背中に満面の笑みを送ってしまった。

お正月の間、子供に誘われてすごろくをした時のこと。

「ビッタリの目が出るまでゴールしたらダメだよ」というルールを指定され、言われた通りに遊びに付き合ったのですが、この「遊びに付き合う」という言葉からもわかるように、大人は子供の遊びに「付き合って」やる、どうしてもそのスタンスから抜けきれない。

たかが、すごろくだけれども、最初、わたしが先にゴールに近づいた。ところが、なかなかちょうどいい目が出ない。そこへ子供が追いついてきて、ついにはわたしが「振り出しに戻る」のところに止まって、最初からやり直す羽目に。それを見た我が子は「あはは」と笑っておなかを抱えている。

「これがあるから、面白いんだよね」と。

ところがこっちは、早く終わりにしたいだけだから、あんまりうれしくない。そして。ふりだしに戻った私は「負けでいいから」と途中でやめようとすると、「ええ」と不満顔をぶつけられた。

やりたくもないゲームをやって、負けとわかっている勝負に時間をつぎ込むのは不快だし、時間の無駄だ。そうわたしは考えてしまうのだけれども、子供には、この勝負の行方がどうも楽しいらしい。行きつ戻りつを繰り返すこの無駄な行為を見るたびに、彼の笑顔がこぼれていた。

わたしはそれを不思議な思いで観察した。

子供には時間の感覚が大人と違うのか。それとも勝った者の余裕か。いやいや、負けていた時も、子供はルールに従って、また追い越し追い越されを楽しそうにやっていた。抜きつ抜かれつのすごろくが楽しいのだ。その感覚を親の私と一緒に楽しみたいのかもしれない。

そう思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだが、なったとしても、わたしは楽しめない。そもそもこのゲームをやりたくないし、無理やりやらされているだけだから、「やらされている」感が消えないうちは、何をやっても楽しくない。

早く終わらせたい。

そのことで頭はいっぱいになってしまって、子供との遊びが楽しくない。その事実に罪悪感を感じて、どうしようかとも思うのだが、かといって急にやる気にはなれない。そして、「あはは」と笑う息子が気の毒に映る。一緒に遊んでいるわたしは、ちっとも楽しくないからだ。

一緒に楽しめる子供と遊べばいいのに。

そうも思うのだが、子供はなぜか大人や自分より年上の者とこういうゲームをやりたがり、同じ年の子供たちとはあまりやりたがらない。ルールを説明するのが面倒くさいのか。都合よくうごいてくれる目上の者たちと遊んだ方が楽しいのか。

理由はよくわからないが、「友達を呼んでやれば?」の提案には、「お正月だから誰もいないよ」とか「家族でやりたい」といって、否定的だ。仕方なく、「今だけ、今だけ」という言葉をおまじないのように唱えて、なるべく要求を呑んで頑張り、ようやく昨日、一段落ついた。

いやぁ、めでたい。

« 2014年12月14日 - 2014年12月20日 | トップページ | 2015年1月11日 - 2015年1月17日 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック