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読書の話(カーネギー)

お財布の中を整理していたら、今年のお正月に引いた大吉のおみくじが出てきました。

もう一年経つんだなぁ、としみじみ思います(* ̄ー ̄*)

最近ですが、ちょっと心がささくれ立っていた時に、『カーネギー』の本を読みました。

――といっても、要約版です(^-^;

そこにこんな言葉が書いてあって、いいなぁ、と思ったものを抜粋して掲載しておきます。

『成功したビジネスマンも主婦もみんなストレスを抱えていた。

ストレスや悩みから自由な人はほとんどいない。では、どうすればいいのか』とまずはあって、

1.将来を考えるところから悩みは生まれる

 なぜ悩みやストレスを持つのか。カーネギーは「私たちはみなつい明日のこと、また来年のこと、あるいはもっと将来のことを考えて、それに備えて行動しようとしていますが、このような生き方から悩みやストレスは起きるのです」

とはいえ、こう書くと異論もあると思ったのか、カーネギーはもちろん将来を考えないなんて・・・と補足の言葉も続けていますが、長いのでそこは書きません。要は、グダグダ将来の心配なんかするのをやめて、

・「今日一日をしっかり生きればよい」ということです。

2避けられない事態は受け入れる

 

「起きてしまったことを受け入れるということは、不幸な結果を克服する第一歩である」

・「こぼれたミルクのことを泣いてはいけない」

日本語で言えば、「覆水盆に返らず」とほとんど同じ意味で、もう済んでしまったことにクヨクヨするなという意味だけれど、悩みやストレスが溜まりやすい人はいつまでもクヨクヨしている。この格言も頭ではわかっているつもりでも、多くの人が「こぼれたミルクのことで泣いている」のが実情であると説いている。いくらクヨクヨするなと言っても、簡単に忘れることはできないかもしれないけれど、一番重要なことは、過ぎたことをいつまでもクヨクヨ考えていると、あなたは不決断に陥って、悩みは軽くなるどころか、一層強くなってしまうよ、と。そして、そのことであなたは余計に追いつめられてしまう。

悩みの虫があなたの心をむしばむ前に、その虫があなたの心に侵入しないように遮断しなければならない。

 

・ないものねだりはしない

この「ないものねだりをするな」という格言を表現するのに、“If you have a lemon,make a lemonede (レモンしかなかったら、レモネードを作ればいい)”というが、レモンというのは、偽物を意味することもあれば、魅力のない女性を意味することもあって、どこか安っぽいもの、という意味がある。

日常生活にストレスが溜まって、苦しい状況から抜け出せない人は、手元にはレモンしかないのに、レモネードではなくパイナップルジュースを欲しがってしまっている。だから苦しみがいつまでも続くのである。

ところで、ないものねだりとはどういう意味だろうか?

例として、大学教育を受けていない二人の若者の話でカーネギーは解説している。

一人はいつも「大学まで行っていれば、それも一流の大学に入っていれば、今頃はエリートとして働いていたのに」と、嫌々キッチンで働いている者。この若者は客ともぶつかれば、先輩ともぶつかって、いつもイライラしている。

もう一人の若者は、自分が大学に行けなかったという事実を受け入れ、大学に行っていたらなんてことは考えずに、この居酒屋で働いているうちに料理を覚え、商売を覚えようと考え、将来は自分で店でも持とうと夢見ながら、明るく元気よく仕事に取り組んでいる。

さて、どちらの若者の方がストレスが少ないかは指摘するまでもないだろうし、5年後、10年後にはどちらの若者の方が成功している可能性が高いかということも、指摘する必要はないだろう、と。

また、子育てで悩みストレスが溜まっているお母さんたちにも、この「ないものねだり」はよく見られる。子供はみな同じように勉強ができるわけでもないし、同じように運動がうまくて、ピアノなども上手に弾けるわけではない。性格もみなそれぞれ違う。他の子供と比べれば、何かが足りないのは当たり前である。ストレスが溜まっているお母さんは、自分の子供に何かが足りないと、それを個性として受け入れることが出来ていないのである。

・自分自身について研究しなさい

カーネギーは自分自身であることの重要さを説いている。自分自身以外の誰かになりたいという衝動はとても一般的だと言い、この一種の病気は特にハリウッドという世界で猛威をふるっていると書いている。もちろん、日本でも例外ではない。

カーネギー自身も若い頃は自分以外の誰かになりたいという衝動に囚われ、苦しめられていたと告白している。その試みはいかにバカげたことであり、無駄な物であり、いかに人を疲れさせる虚しいものであるか、カーネギー自身がよくわかっていた。

でも重要なことは、自分自身以外の誰かになりたいということは、結局、自分で自分のことを認めていないということであり、自分自身を認められずに、自分自身から目を逸らして、誰か他の人間をマネをすることほど、疲れ、無駄で虚しい行為はない。それ以上に、そのような子供っぽい欲望に囚われていると、人とのコミュニケーションは上手くいくわけもなく、仕事でも日常生活でも、毎日ストレスを呼び寄せることになってしまうよ、と。

 

・あなたの悪いところではなくいいところを数えよう

「私たちの生活のうち、約90%は正しくて、10パーセントは間違っているかもしれない。もし、私たちが悩みやストレスをなくして、幸福になりたければ、その90%だけを見ていればいい」

この正しい90%の中には、私たちのいいところがたくさん詰まっている。反対に残り10パーセントの中には、私たちの嫌なところや悪いところ、間違ったところが見つかるかもしれない。理論的に言えば、私たちは10パーセントの部分ではなくて、90%の部分を見ていることの方がずっと多いのだから、私たちは普段はそれなりに幸福な状態でいるはずである。

なのに、なぜか、残りの間違った10パーセントの方ばかりを見てしまっている人がいる。自分の悪いところ、間違ったところ、嫌なところばかりに目を向けて後悔と自己嫌悪に苦しんでいるのである。その人の生活自体が悪くなったわけではないのに、自分のいいところから目を逸らせて、悪いところだけを見ようとしてしまう。

また普段はそのようなマイナス思考がない人でも、たとえば仕事でつまづいたり、家庭が上手くいかなくなると、気を落としたあげくに、突然自分のいいところはすべて忘れて、悪いところばかりに囚われてしまうことがある。

これはカーネギーも指摘しているように、心の弱さの結果でもある。

もし、自分が悪いところばかり数えていることに気がついたら、勇気を出して、自分のいいところを一つひとつ数えてみるといい。

普段思っている以上に、あなたにはいいところがたくさんあることに気がつくであろう。

どうです? なんだか読み終わった後、気持ちがすっきりしませんか? 「自分自身を研究しなさい」という話では、少し書いた年代が古いのでハリウッドでは、とありますが、内容は今にも通じる話だと思います。

また上記の話では、10パーセントどころか、私はもっと悪いというか、直したい部分が山のようにあって、30パーセントくらいは悪いかも(^_^;)、と思うのですが、とりあえず、自分自身に元気がない時や落ち込んでいる時ぐらいは、自分の悪いところは10パーセントしかないんだと思いこんで、自分で自分を庇ってあげることは必要な気がします。

辛い時に自分を責めるのは誰あろう、自分自身ですからね。落ち込んでいる時ぐらいは、自分は悪くない! 悪い部分は10パーセントしかない!! と己自身に主張して、自分を自分で甘やかしてあげないとやってられないよ・・・・・・という事ではなかろうかと、勝手に解釈しています

カーネギーは、他にも、励まされるような、素直にそうだな、と思える思想や考え方が書いてあって、いい本です。

年末の大掃除や仕事が片付いて、暇ができたら、ちょっと読んでみると、心に染みる言葉が見つかるかもしれません

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