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2015年10月の6件の記事

テストの珍答集

とあるサイトに、「こんなのがありました」と、子供たちのテストの珍答を集めた投稿がありまして、それがめちゃくちゃ面白かったので、ちょっとご紹介。

本当はそこのURLごとアップしたかったのですが、誰が元なのかわからないので、記事のみにて失礼いたします。

珍答①

問い:次の問題文を読んで、思ったことを書きなさい。

   「お父さんは駅のホームで、裸のまま、お札を差し出した」

→答え(子供の解答)

   「お父さんは変態かもしれない」

続きの問い :なぜそうしたかと思いますか。

   「ビックリさせたかったから(変態だから)」

これ、おかしくないですか? 

確かにその通りだけど!! 裸のままって、意味が違う!? いったい、どーゆー問題なんだ!? と爆笑。

珍答➁

算数の問題

問い:「この円柱のテーブルに、7人座ることができるでしょうか?」

→答え(子供の珍答)

    「テーブルにではなく、イスに座らせた方がよい」

た、確かに!

珍答➂

国語の問題

問い:この俳句の中から自分の好きな俳句を選び、その理由を書きなさい

→答え(子供の解答)

   好きな俳句の番号は書いてありましたが、その理由の欄には、

   「好きに理由はない」と書かれていました。

   そして、それに対して、先生が赤ペンで「カッコいいけど、×」とコメント付きでペケマー   ク。

   担任の先生、ナイス(^-^;)b!! って思いました。 

他にも、フリガナを付ける漢字の問題や、意味を問う問題の珍答が傑作で、親を殺そうとしているのか!? というような内容の解答が秀逸でした。その内容を真面目に答えているから、余計におかしい。

「子供のテスト、珍答集」と検索すると出てくるかも。

うちの子も日本語がアレなので、時に笑えたり、誤解があったりもするのですが、珍答を読んでいると、よその子も、面白いなぁ、と。おおいに共感しました(。・w・。 )

とっさの一言

突然の出来事や、思いもしなかった話を急に聞くと、その受け答えって難しい。――そんなことを思ったことはありませんか?

わたしは、つい先日、そんな場面に出くわしました。

「四時半までには帰るから」と約束して出かけたはずの息子が、時間を過ぎてもなかなか帰ってこなかったんですね。そこで、予定があったから、仕方なく公園まで迎えに行った時のこと。迎えに行く途中で、お引越ししたはずのIさんに会ったんです。

彼女はわたしに気がついて、「こんにちは。お久しぶり」と笑顔で話しかけてきたので、わたしも「久しぶりですね。お引越しされたんじゃなかったんですか!?」と素直な疑問を口にしたら、彼女は一瞬の間をあけた後、「子供だけ引っ越したの」と、これまた正直な返事が返ってきた。

知らなかったとはいえ、気まずくて、、「そうだったんだ」と言った後、言葉が続かなかったんですよ

何て返事をしたらいいのか、迷ってしまって、気の利いた言葉なんて全然出てこない。

「元気を出してね」って言うのも、何だか変な気もするし、

「近所に住んでいるなら、今度一緒にお茶でもしようよ」も、久しぶりに会っていきなり誘うの!? とも思ったりして。

共通の知人を引き合いに出して、「また○○さんも誘って、どこかへ出かけようよ」なんて言うのも、その人とも連絡を取らなきゃいけないから、適当なことを言うのもどうかと思うし・・・とか、なんとか、いろんな返し言葉が頭に浮かんだけれど、どれ一つとして、適切ではないような気がして、結局何も言えず、その沈黙を破るように子供が「帰ろう」と声をかけてきたので、「それじゃぁ、またね」とだけ言って、帰ってきてしまった。

この場合、これで正解だったのか。

立ち去る最中も、またその後も、しばらく考えてしまった。

もっとうまい切り返しがあったんじゃないか? 何か元気づけるような言葉をさらりと言えたらよかったんだけれど、何も出てこないなんて、いい年なのに情けない。

自分は前の記事にも書いたように、励まされたりなんかして、優しい言葉をもらっているくせに、いざ今度は自分が励ます番になると、何も言えないだなんて。――まったく、ねえ。困ったもんです。・・・だけど、人を励ます言葉って、なかなかどうして、難しい。

何を言えば、その人を勇気づけ、力を与えることができるのか。どんな言葉を言われたら、うれしいのか。それがわからなければ、結局、無理やり言葉をひねり出しても、どうしようもないような。相手には届かないような気もする。

以前書いた、成人教育の講演会の話で、「プラスの言葉を身近な人や親しい人たちにプレゼントしよう」という話があったけれど、人を励ますような言葉というのは、そんなすぐには出てくるものではなく、ある程度、準備しておかないと、言えないんだな、と今回のことでしみじみと思いました。

だけど、こんな時のプラスの言葉って何でしょうね?

やっぱり、この場合は「元気を出して」だったのか。はたまた、「笑う門には福来る」っていうから、辛いことがあっても、笑って元気でいようね、とでも言えばよかったのか?

どんな感じで返してやればよかったのか。今一つわからない・・・。

こういう急な場面でも、穏やかに温かい言葉をすらっと言える人になりたい、

と、思った出来事でした。

ひとりごと

ここのところ、落ち込むことが多く、いろいろなところで、弱音を吐いていたら、「大丈夫だよ」と言ってくれるママ友や、職場の人にも迷惑をかけているのに励まされたりして、今日はバナナクリームサンドをもらったりなんかして、食べました。

あぁ、申し訳ないな~と思いつつも、なんだか、うれしかった。

不運の中の幸福ってやつでしょうか。

辛いと思っている気持ちを正直に話せば、返ってくる言葉は優しかったりして、それに救われている。ありがたいなぁ、としみじみと思いました。

普段、何もない時は気がつかないけれど、心が疲れている時、優しい言葉を言ってくれる人が自分の周りにいるっていうのは、ありがたいことです

お蔭さまで、今日はご飯が美味しかった。

最近、気に病んでいるせいか、食が進まなくて、食べるのが辛かったんですよ。拒食というわけではないのですが、食べる気がしなくて。飲み物で済ませちゃえ、みたいな。

だけど。

今日はようやく、食べたいと思えた気がするし、美味しいとも思えたから、よかった。

気持ちが少し楽になったからかな。

今年もすでにあと3か月足らず。

来年はこんなに落ち込まないよう、しっかりしないといけないなぁ、なんて思っているのですが、上の子の受験もあるし、やっぱり不安。

うちの子が受験にし・・・・いやいや、言わないでおこう。

「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉の通りに、禍いの後には幸福がくるものだと思いたいな。

来年はいい年になりますように!

文化祭のお手伝い

昨日はバザーの値付け作業というお手伝いがあって、学校に行ってきました。

週末行われる学校の文化祭では、制服や上履きなどのおさがり品や、食品や食器といった日用品を、バザーの商品として販売するので、その価格付けと値段のシールを貼る、というお手伝いです。

今回、わたしは初めてバザーの値段をつける作業を担当したのだけれど、結構、バザーの値段付けって、適当だった( ̄▽ ̄;) 。

「これって、買うと千円くらいするよね?」

「あ、じゃぁ、半額の500円でいいんじゃない?」みたいな。

まぁ、でも、だからこそ、学校のバザーはお買い得で人気があるんでしょうね。

私は食品の値付けをしていたのだけれど、お茶の詰め合わせセットとか、そうめんの詰め合わせセットなんかは多かったかな。みんな、案外そうめんとかは食べきれないようです。秋のバザーで出品数が多いのが、おもちゃと並んで素麺セットであるとは、昨日初めて知りました。

「こんなに残っているのか! 」というくらいには、並んでいました。

うちなんか、夏はそうめんばっかり食べていたような気がするけどなぁ(^-^; むしろ、足りないぐらいだったよ。

お茶もあんまり、飲まないのか、これもまた、ずいぶんありました。お葬式の引き出物かしらねえ、なんて話していたけれど、頂き物のお茶は、好みがあるから飲まないのかしら?

バザーに出すくらいしか、行先がない食べ物やタオルなんかは結構あるのねえ、と。こういうのをやっていると、しみじみと思います。。。

皆さん、豊かなのねえ、とも思い、うらやましくもなりましたけど。

他にも、自分でこのまま買っちゃいたい!と思ったのが、カニ缶とか、千疋屋のフルーツジュースの詰め合わせセット。

「こんなの自分の家で食べちゃえばいいのに」・・・なんて、みんなで口々に言いながら、値段をつけていました。それも格安のお値段を( ̄▽ ̄)

あ~。当日は早く出かけて行って買わなくちゃ! って、決意するほどの、お買い得価格。

もうね、売り切れ必至。

ぬいぐるみや、訳の分からないおもちゃ等のガラクタもたくさんあったけれど、お買い得な品は、本当にお得です。

皆さんも、近隣の学校でバザーが行われるようなら、出かけてみるといいかもしれませんよ。食品は本当にお得だと思います。思わぬ掘り出し物に出会えるかも(*^-^)

日常の中のゴタゴタ

これは昨日、一昨日のお話。

最近、寒暖の差が激しいせいか、窓に結露ができるらしく、そこから水アカのようなカビ(?)が窓のサンのところについているのを見つけたんです。

冬でもないのに、と思いつつも、このまま放っておいたら、マズイ。仕事が休みだったので、カビ退治用のジェルを窓に塗布して、せっせと窓拭き。面倒でも、もうすぐ年末だからと、ちょっと頑張って、掃除をしていたんです。

すると、突然、窓の上の方から、「あ、ねえ、あれ、さっきの!」などという声が降ってきまして、次いで、「ムカつく~」などの、複数の女の子たちの声が入り混じった不満の言葉が聞こえてきたんです。

理由はわからないけれど、その後は、「うざい」だの、「しつこい」だの、悪口のような汚い言葉が、まぁ延々と、降ってきましてね。

さっぱり訳がわからない私は、首を傾げつつも、イヤな気分にさせられて、一旦は掃除をやめようかとも思ったんですけど、休みの日にやっておかないと、なかなかできないし・・・と、思い直し、彼女たちを無視して、窓拭きを続けることにしました。

すると。

「ねえ、まだ窓拭いてるよ」「うそ。あたしたちのこと、監視してるのかな?」などと言い始め、

「イヤだ、気持ち悪い」とまでいってきたんです。

さすがにここまで言われると気になってしまい、つと窓の上を見上げて、誰がしゃべっているのか、相手を確認しました。

すると、その子たちは、予想通り、向かいの家の子とそのお友達。

やっぱりと思いつつも、彼女たちを見上げていると、「イヤだ、こっち見てる」

「キモっ」などとも言ってきました。

正直、彼女たちの声はうるさいし、「キモっ」などと言われるのは、ものすごく不愉快。

だけど、子ども相手に怒ってもなぁ、と。自分に言い聞かせ、とにかく早く掃除を終わらせようと、黙々と手を動かし続けました。

けれども、その間も、彼女たちは「キモいね~」「イヤだ~」などと、ずっと騒ぎ続け、その声は窓ふきが終わるまで、しっかりと私の耳に届いていました。

ようやく不愉快な掃除が終わって、階下に降りてお茶を飲んでいると、まだ彼女たちは窓の外に向かって、わぁわぁと騒いでいる。

女の子だから仕方がないのかもしれないけれど、うちの下の子と同学年の子たちなんだよね。――にもかかわらず、辺り構わず、ずいぶんとうるさいなぁ。

しかも、わざわざ窓の外に向かってしゃべっているなんて、変な子たち・・・。

などとその行動を不快に思いながらも、親がおそらくいない所へ遊びにきたから、羽目を外しているのかな。・・・などと、解釈して、ひとまずここは我慢することにしたんです。

そして、夕方。

そろそろ洗濯物を取り込もうとベランダへ出たら、

「あ。またきた」

「イヤだ~。また、あのおばさん?」と、あの女の子たちの声が、またもや降ってくる。

イヤな気はしたけれど、早く片付けたくて、構わず洗濯物を取り込んでいると、「なんか、ウザイね」

「ほんと、イヤだ」と、また言ってきた。

だけど、正直いって、それはこっちのセリフ。

ウザイのは、あんたたち! 

洗濯物をただ取り込んでいるだけで、ウザイって何!? って、感じで、イラっ。

腹が立ったので、その日の夕方、下の子の習い事の送迎がてら、女の子たちに「ウザイ」と言われた話をしたら、早速、その翌日(つまり昨日)、お向かいに住む女の子のお母さんから、メールが届いたんですw(゚o゚)w!

私は、メールでやり取りするより、ここは電話の方がいいと思って、連絡をいれ、お向かいさんの言い分を聞くことにしました。

――そして。その言い分というのが、

「子供たちがウザイと話していたのは、家に友達を呼んだ時、家の前に停めていた自転車が邪魔だったらしくて、近所のおばさんにヒステリックに怒られたからで、そのおばさんのことを部屋で『ウザイ』と友達と話していたのを、私が自分のことを言われているんだと思って、誤解されたようなので」とのこと。

「自転車も、それほど邪魔にならないように中の方へ停めていたんだけどね・・・」と。だけど、道路前で遊んでいたことや、危ないなどの話をさんざん注意されて、その言い方がかなりキツかったから、子供たちは怒りに燃えていたのだそうで。

えーと、――――――・・・・・・正直、なんじゃ、そりゃ(・_・)? と思いました。。。

申し訳ないけれど、それは怒られて当たり前って気がして。

まぁ、とにかく、「だから誤解なの~」ということだったんだけれども。一応、わたしの情報としては、部屋でしゃべっていたということだけれど、窓の外を見て、私とも目が合っていたし、窓掃除をしている時、「まだ掃除してる~」「イヤだ~」「監視してるのかな~」とか、言ってたから、私のことを見て、しゃべってたと思うよ、とは伝えておくことにしました。

あと、洗濯物を取り込んだり、掃除をしていたら、突然隣から、「キモイ」とか「監視してる」なんて言われたら、ものすごく不愉快だということも、そういう話をする時は、ぜひ窓を閉めて話してね、とも、きっぱりと言ってしまった。

なんか、もう子供たちも大きいし、しがらみも薄いしね。はっきり言わないと、(もしかしたら、言っても伝わらないかもしれないけれど)わからなさそうだと思って。

それに、よく聞くと、母親である彼女は家にいたそうだし。――家にいて、あの大騒ぎかぁ、とちょっとビックリしたけれど、まぁ、そういう事だったらしい。

言った後、ちょっと、イヤだなぁ、と思ったけれど、仕方がない。

なぜかモヤモヤするけれど。

こういう訳の分からないゴタゴタはいくつもある。

前を向いていこう。

日々是好日なり

タイトルの言葉は、唐代に活躍した雲門禅師の言葉です。

私は初め、この言葉の意味は、日々に流れているこの穏やかな日を大切に生きよう、だとか、わたしたちは日々の時の中で育まれている。だから、毎日毎日訪れるこの日がよきものになるように、また良くあることを祈ろう・・・といった願いがこめられた言葉なのかな? と思っていました。

でも、実際には違っていて、今日をいい日だ、悪い日だ、などと物事の損得や幸不幸で考えず、またそのようなこだわりを捨てて、その日一日をありのままに精一杯生きる、清々しい境地のことだそうです。

たとえ、嵐がこようとも、財産や大切なものを失った辛い日であっても、ありのままに生きれば、それはすなわち、好かな、という意味だそうで。

・・・・・・

大切な物を失っても、好し、 というのは、かなり凡人には難しい境地ですが、その後にはこう続きます。

この好、は良し悪しの好ではなく、

「嵐がやってくる。だが、よし、何するものぞ」だとか、「失ってしまったか。だが、よし、改善してまた取り戻すぞ」のよし! だそうです。

この「よし」が、「好し」なのだそうです。

積極的に生きようとする「よし」、これが好だと。

ちょっと、わかる気がします。

過ぎてしまった日々を悔やんでも仕方のないことだし、また反対にまだ来ぬ明日を夢見て生きたところで、それもまた定かではなく、致し方のないこと。それよりは、この今のこの一時、それは悲しみにくれた一日かもしれないし、喜びの日かもしれない。その一日は、人によっても違うけれど、その一瞬一瞬を精一杯に生きて、その積み重ねが連なれば、それは素晴らしく好き日になるであろう、という意味だそうです。

穏やかな生活や平和を祈るばかりではないんですね。

嵐のような日々も好だと。

なるほど、と妙にこの言葉に納得するところがあったもので、書いてみました。

――というのも、最近、いろいろとありましてね。

仕事でもプライベートでも前述したようなことがあったりなんかして、落ち込むことが多いのですが、そこから「よし!」と立ち上がる「よし」をこれから先も、何度も繰り返して、いい日にしていかなくちゃいけないんだな、と。

しみじみと感じる今日この頃です。。。

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