どうでもいい日常の一コマ「衣替えの話」
朝晩だけでなく、日中も急に冷え込むようになりましたね。
そろそろ、タンスを整理しなくてはと、しまいこんでいた洋服を引っ張り出してみる。と、子どもたちの着られなくなった洋服やコートなんかがワサワサと出てきて、ため息が出た。子どもの成長は早いもので、一年経つともうサイズダウンだ。たったのワンシーズンで着られなくなってしまう。
こういう場合、リサイクルショップに売るか、ネットで売るという方法が賢いやり方なんだろうけれど、毎年毎年サイズが変わって、そのたびに始末していたら、「売る」という作業の手間にいい加減、疲れてしまった。
結構、「売る」って、大変。その労力と手間を考えると、捨てる方が楽。
だけど、そうはいっても、捨てるには一年のうちの数ヶ月しか着ていないから、きれいだし、もったいない。そう考えると、やっぱり捨てられなくて悩んでしまう。
リサイクルショップだと、ほとんどの中古品はお金をくれない(-_-;)
「うちで扱っているのは、新古品のみなんですよ。置いて帰るのは構いませんけど」などといって、追い払うように品物だけ寄こせという感じで返されてしまう。
はっきりいって、そこに行くまでの交通費がかかっているから、せめてガソリン代くらい出してくれない? って、叫びたくなっちゃう。
だったら、呼べばいいじゃん、って?
もちろん、呼んだこともありますよ。だけど、来てもらった人に「これは、どれもお値段がつきませんねぇ」といわれてしまったら、来てもらった手前、「じゃぁ、これらは只でいいので持っていってください」とかいって、その見ず知らずの人にあげてしまうことになる。
その時、思ったんだよね。これなら、知り合いにあげた方がマシじゃないか……?
てなわけで、今では、
「よかったら、もう着られなくなったコートがあるんだけど」「冬物いる?」などと。
ご近所に声をかけて全部あげてしまうことにしている。
こうして冬物をどんどん処分していかないと、しまっておく場所もないもので、せっせと片付けて(という名の始末をして)いる。
子どもがいる家庭のみならず、老夫婦だけで住んでいるご家庭でも、こうした不用品の片付けには苦労されているのではないだろうか。年を取ると、物を捨てるにも売るにも体力が必要だし、かといって、最近のリサイクルショップではそう簡単には買ってくれないし。もっとひどい話だと、ゴミ出しにお金がかかる自治体区域のお店なんかでは、「これはゴミですね」なんて衝撃の一言をきっぱりと言い放って、お持ち帰りを言い渡される場合もある。ここまでくると、もう売るどころの話じゃない。処分の難しさを感じてしまう。
そんなこんなで、売るのを諦め、捨てるに走るのだけれども、捨てる準備をするにも、やはりこれまたそれなりの手間と根気がいる。
いらない物といる物とを分別し、捨てる物をゴミ袋に詰めて期日までに出したり、あるいは電話をかけ、お金まで払わなければいけない物もある。やっぱり、と思うものに関しては、きれいに洗濯して、これまた紙袋などに詰め、あげる人に渡すところまでやらなければ終わりにはならない。
なのに。
こんなにも面倒な作業をせっせとやっている母を捕まえて、捨ててもらうだけの人間は、感謝するどころか、捨てさせてやっている、といった態度で実に偉そうだ。挙句の果てには、「何でもすぐに捨てるんだから!」とか。「もったいない。あれば使うのにさぁ」などと、頑張って代わりに捨ててあげたにも関わらず、文句を言い、捨てる行為を責めることすらある。
アホか! 物を『片付けられない=捨てられない』あんたたちに代わって、「捨ててあげている」んだぞ! と捨てる側からすれば、怒り心頭だ。
――とまぁ。毎年、無益な怒りと労力を結集させねばならない、とても疲れる衣替えのシーズン=ゴミ捨てシーズンですが。この記事で、少しでも「捨てる」という作業の大変さをご理解していただければ、ひたすら捨てる作業を繰り返している立場の人間としてはうれしい限りです。
「捨て魔」でもね、時折、捨てる作業に疲れを感じて、もうこのまま仕分けなんかせずに、全部まとめて捨ててやりたいな……そんな衝動にかられたりするわけですよ。だけど、それはいけないことなわけで。
そんな時、ふと思うんです。今ごろ、同じ立場にいるであろう女性たちは全国にたくさんいるのだろうなぁ、と。彼女たちも、こんな風に嫌な思いを抱えながら作業しているのかなぁ、と。そんな風に仲間がいる、と思うと少しは慰められる気がするのですが、それは都合のいいわたしの勝手な憶測だろうか。
はろ
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