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『夜と霧(新版)』

『夜と霧(新版)』を読みました。先日、新版が出ていることを教えていただき、購入しました。以前の版は、字が小さくて読みづらく、内容的にも暗い部分が多かったのですが、新版は暗くなる部分もありますが、全体を通じて勇気づけられるものでした。是非一読をお勧めします。

『夜と霧』とタイトルは、夜陰に乗じ、霧にまぎれて人びとがいずこともなく連れ去られ、消え去った歴史的事実を表現する言い回し、ということです(「訳者あとがき」より)。

こうしたことから、私たちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる。いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともでない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともでない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。
強制収容所の生活が人間の心の奥深いところにぽっかりと深淵を開いたことは疑いない。この深みにも人間らしさを見ることができたのは、驚くべきことだろうか。この人間らしさとは、あるがままの、善と悪の合金とも言うべきそれだ。あらゆる人間には、善と悪をわかつ亀裂が走っており、それはこの心の奥底にまでたっし、強制収容所があばいたこの深淵の底にもたっしていることが、はっきりと見て取れるのだ。
わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。

まともな人間を指向するために、「意味器官」≒良心を働かせて、各自が行動したいものです。格差社会、負け組・勝ち組という二分化された世界観も、もしかしたら強制収容所と同じ世界かもしれません。そうならないように改善したいものです。

(おなけん)

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