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2010年5月の7件の記事

心理ゲームというやりとり

以下は、交流分析で言う『心理ゲーム』というあまり気持ちのよくないやり取りです。

皆さんの周りにないですか?

いろいろ置き換えて考えてみてください。

先輩と後輩の会話

後輩「今度、彼女とデートでご飯を食べに行くので、どこかいい店教えてくださいよ」

先輩「そうか、上手くいくといいねー。」

 「じゃあ、知り合いの和食の店を予約してあげようか?」

後輩「スイマセン、彼女が魚が苦手なもので」

先輩「そうかー、じゃあカウンターで焼き鳥なんてどう?」

後輩「いやーー、デートなんでもう少し落ち着いたところが…」

先輩「んーー、難しいね。思い切ってフレンチのコースでも行くかい?」

後輩「フレンチなんて自分が緊張しますよ!」

先輩「そうだ、中華なら緊張しないだろ!いろいろ頼んで二人でシェアして食べれば」

後輩「中華かいいですね、でもちゃんとした店だと高いんじゃないですか・・・予算が・・・」

先輩「・・・・・・・」

後輩「他にはないですかね、もう他には知らないんですか?」

先輩「まったく、ダメなものだらけじゃないか!普段はお前は何を食べているんだよ!」

後輩「そんな!怒らなくても、先輩ならいろいろ知っていると思って聞いただけじゃないですか」

先輩「怒ってないよ、ちょっとイライラしただけだ!」

後輩「わかりましたよ、もう頼みません。自分で、インターネットで調べますよ!」

先輩「だったらはじめからそうしろ!(怒)」

後輩「ハイハイ」

先輩  後輩の態度にさらにイライラする

さていかがだったでしよう?

さて、このような嫌なやりとりをやめるためには・・・

『マックス・ウェーバーの経済史学がよくわかる本』で考える

マックス・ウェーバーの経済史学がよくわかる本』を読みました。資本主義の成立背景と資本主義の抱える課題などが平易にわかりやすく書かれています。久しぶりに多面的に物事をとらえるということの重要性を感じましし、今の経済・社会システムについて考えさせられました。

ウェーバーによると、逃れることのできない「鉄の檻」である資本主義経済の果てに現れるのは、

「末人たち」

彼らは、精神のない専門人や心情のない享楽人であり、彼らは人間性がかつて達したことのない高みにまで登りつめたと自惚れるだろう、と記しています。

現在では「末人たち」になれなかった人たちが、生きることに辛さを感じたり、苦しんだりしているのではないかと思います。メンタルヘルス不調の人たちもそうかもしれません。歪んだ社会に適応できないのは、人としての当たり前の反応かもしれません。

そんな人たちがでない仕組みづくりは「夢」なのでしょうか。楽しく働くということは実現できないのでしょうか。何が足かせになっているのかを、各自が少しでも考えることが大切ではないかと感じます。


(おなけん)

生きがい

プラグマティズム・実用主義の哲学者であるウィリアム・ジェームズは、「知識や理論が正しいかどうかは、それを実際の行動に適用してみて、その結果が有用であるか否かによって決定されるものである」と述べています。

神については、それを信じたほうが信じない場合よりも人間に精神的やすらぎを与える点で有用であり、よって「神が存在する」ということは真であり、善であると理解します。神や天使などのスピリチュアル系の話や本を見聞することが多いですが、その人にとって有益であれば、存在しようがしまいが、どちらでも良いのです。私は存在しないと思ったほうが、生きやすいのでいないと思っています(私は、自分の行動に神とかがかかわっていると思うと、重荷というか、うっとうしいからです)。各自それぞれが有益なほうを選択すれば良いだけです。ですから、信じている人にいないとか、意味がないと言うのは問題ですし、神などの存在を他人に強要するのも意味がないことです。

ジェームズは「人生は生きがいがあるか」について、これを問うている人が悲観的人生観に屈しないで、進んで人生の苦難に立ち向かうならば、その人にとって人生は生きがいのあるものになるとし、「人生は生きがいがあると信じなさい。うすれば、その信念が生きがいをもたらす助けになるだろう」と述べています。

私たちは、理屈や理論をつめることをしますが、それがどのように役立っているのか、有益なのかの視点で物事を見ることも大切だと思います。

参考文献:『理解しやすい倫理』

(おなけん)




悪者はいない。

こんにちは、笠井です。         

四月は天候不順で寒かったですが、5月になってようやく新緑の季節らしくなってきましたね。

さぁ、今日は最近聞いたちょっといい話です。

ある雨の朝、バスの中での出来事です・・・・・

その日は子供の検診日、保健所に向かうバスの中は小さなこどもをつれたお母さんが何組か乗っていました。

そんな中、一人の赤ちゃんがぐずり始めました・・・

その泣き声はだんだんおおきくなりお母さんがいくらあやしてもいっこうに泣き止む気配がありません。

お母さんも困っています。

そんな中バスのうしろの座席から男性の声で「うるさいぞ!何とかしろ!」と怒鳴り声が飛びました。

お母さんは、必至にあやしますがかえって子供の泣き声は大きくなります。

困ったお母さんは、バスの運転手のところに行きなにやら話しています。

多分、迷惑なのでどこかで降ろして下さい、と御願いしているようです。

まだ保健所まではずいぶんあります。

すると運転手は、普段はバス停の案内をするマイクをつかって乗客に語り始めました

「皆様おはようございます、今日は雨ですね。今、赤ちゃんが泣いていますが、私達は皆、泣きながら大きくなりました、もうしばらくこの子の泣き声を聞きながらいきませんか?」

この語りかけにバスの中は拍手と温かい気持ちで一杯になりました。

『ハッピーバースデー』

子どもの本の紹介にあった『ハッピーバースデー~命がかがやく瞬間~』を読みました。こころに響く良書だと思います。

それと、本書は学校の中でのいじめなどが取り上げられていますが、それを会社に置き換えて読むと、改めてみんなで改善することの重要性を痛感します。一部抜粋してみます。

「いじめで、死ぬほど追いつめられた友だちがいたのに、わたしたちは、そのことについて何も話し合っていません。このままだったら、また同じことをくりかえしそうなんです。お願いです。わたしたちに、いっしょに考える時間をください」

「いじめにかかわらないようにするのが、自分を守ることだと思っていました。でも、けっきょくは、みんなを傷つけて、自分もめちゃくちゃ傷つきました。クラスにいじめが起きてから、ずっと重くていやな気持ちだったのが、なんだかよくわかりました。自分の心にふたをしていたからです。もっと早く、みんなと話し合えばよかったと思います。今、みんなの気持ちがよくわかって、なんだか自分がやっと、生き返ったような気持ちです」

子どもたちの学校だけでなく、大人たちの会社やその他の組織に、話し合うことは多いと思います。今の子どもたちが楽しく働ける組織・環境づくり、これは私たち世代の仕事かと思っています。まずは自分の今の会社に子どもがはいっても大丈夫なように社内の雰囲気や環境を整えたいです。そして、それを他の関係組織や会社に広げていきたいです。自分の身近でできるひとつの仕事だと思っています。

みなさんのお勧めの児童書などがありましたら、教えてくださいね。

(おなけん)

セロトニン

GWも今日で終わりですね。ちょっと残念です。明日から仕事だと思うと憂鬱です(笑)。

今年のGWは天気も良く、気持ちよかったですね。私は仕事で鬱々としていたので、GWはひたすら日光浴をしてセロトニンをたくさん作るよう心がけました。

セロトニンには私たちを爽快な気分や前向きな気分にさせてくれる効用があります。お天気が良いと気持ちがいい、と感じますが、実はお天気がよいと脳内のセロトニンが増えて気分が爽快になっているのです。

やはり家に引きこもっていては良いこともないですね。太陽の光をたっぷり浴びて元気になりました。明日からのことを考えるとちょっと辛いですが、この連休の間に元気をチャージしたので、頑張れそうです。

明日からは、ちょっと早いですが産業カウンセラーテキストの改訂と模擬テストの改訂をしようと思います。(玲)

男と女 について。

こんにちは、笠井です。         

世間はGW真只中ですが皆さんいかがお過ごしですか?

最近、男女でのコミュニケーションの講座をやっています。

そこでおもしろいと思った格言?です。

仕事を一生懸命やると、彼女のための時間はないのかといわれる
仕事をほどほどにすませると、甲斐性なしといわれる


彼女より先に昇進すると、男女差別といわれる
彼女が先に昇進すると、機会均等といわれる


彼女の服をほめると、セクハラといわれる
彼女の服について何も言わないと、気がきかないといわれる


彼女の前で泣けば、情けない男といわれる
彼女の前で泣かなければ、感情のない男といわれる


彼女に相談せずに決めると、自己中心的といわれる
彼女が相談せずに決めると、自立した女といわれる


彼女に花を買っていけば、下心が見え見えといわれる
彼女に花を買っていかなければ、配慮が足りないといわれる


自分の身体をきたえれば、ナルシストといわれる
自分の身体をきたえなければ、だらしないといわれる


彼女に体型を保ってほしいと言えば、性差別に基づく偏見といわれる
彼女の体型について何も言わなければ、私に関心はないのかといわれる


男性諸氏、いかがですか?

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