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2007年10月28日 - 2007年11月3日の4件の記事

恩師からの教え

ここ数日、人との共同活動の難しさを痛感し、気持ちがふさいでいました。
今日、ふと、今年亡くなった恩師からのノートを見ていると「真のリーダーの心得十カ条」と書かれたものがありました。誰かの言葉のようですが、その中に…

レベルの高い方が苦労するのは宿命である。
(真のリーダーにとって、困難と苦労が生じなければそれは異常)

生意気ではありますが、この言葉に共鳴しました。そして、「そうか!!」と救われる思いでもありました。
他の心得もとても心に響くものがあり、あらためて「やる気」がみなぎってきました。久しぶりに言葉の力強さを実感しました。

さあ、今から!!

(おなけん)

イントロジェクション(取り入れ)④

イントロジェクションとは、真に自己のものではない規範、態度、行動や考え方をあたかも自分のもののように思い込むという神経症的な心理的過程をいう。
このイントロジエクションにおいては、自己と周りの外界との境界が、自己の内界に入ってしまって、ほとんど自己が存在する余地がなくなっている。
合唱中にトイレに行きたくなりながらいけないという例のところで、例えば、「他者に迷惑をかけてはいけない」と考えるのは、このイントロジェクションの典型だといえる。
それにしても、いったい誰がそう言うのであろうか。
彼自身であろうか。
それとも合唱団員たちであろうか。
彼は自分の欲求は取るに足らなく、いつも集団の欲求の方を優先させねばならないと考えているのであろうか。
普通、イントロジェクションしやすい人が「私は、~と考える」と言うとき、実は「彼らは~と考える」という意味の場合が多い。


イントロジェクション(取り入れ)③

イントロジェクションの危険性は2つある。
まず第一に、イントロジェクションにあけくれる人間は、自己の身体に宿っている異物を抑制するのにやっきになって、自己の固有の人格を醸成する暇がないということである。
自分の手に負えないくらいにイントロジェクションが過剰になると、自分とは何かを発見したり、自分を表現したりする余裕がなくなる。
第二に、イントロジェクションはパーソナリティの崩壊をきたす一因となる。
仮に2つの相反する考えの両方とも鵜呑みにするとすれば、それら2つを調和させようと努力する過程で自分自身バラバラになってしまうであろう。


イントロジェクション(取り入れ)②

この破壊と消化という作用をともなう同化による成長の過程は、生理的には容易に理解することができる。
人間が成長し、生命を維持できるのは、丸ごと飲み込んだ食物によるのではなくて、歯で噛みくだくこと(破壊の過程)と、その噛みくだかれた食物を消化することによっているのである。
そうして身体に入った食物は、適切に消化され、また同化されて、身体の一部になる。

しかし、自らが欲するからではなく、無理やり食べなければならないからと丸ごと飲み込まれた食物は、食道の奥へと押し込まれはするが、胃に重くもたれることになる。
それは不快感をともない、吐き出して身体から取り除きたいという気持ちにさせる。
仮にそうしないで、不快感やむかつき、吐き出してしまいたい欲求を抑え込もうとするなら、苦しみながらも何とか消化してしまうか、あるいは中毒症状を引き起こしてしまうかのいずれかになる。

このような異質な、いわば添加物がパーソナリティに加えられる心理的過程をイントロジェクション(取り入れ)と呼んでいる。


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