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神経症

社会との平衝を保とうとするあまり、消極的で引っ込み思案になり、社会の重圧に耐えきれず、同時に社会生活から孤立し、受身な立場に追いやられる人は、神経症と呼ばれている。
神経症の人は、自己の欲求に気づかないので、自己の欲求を満たすことはできない。
また自己と外界との区別がうまくできず、社会を必要以上に過大視し、自己を過小視する傾向がある。
一方、犯罪者は、他者がどんな欲求を持っているかに頓着しないので、他者の気持ちを踏みにじる傾向が認められる。
犯罪者もまた自己と外界との区別が正しくできないからである。
しかし、神経症の患者の場合とは逆に、犯罪者は自己を過大視し、社会を過小視する傾向が認められる。

神経症は、自己と外界とのバランスが崩れたときに発生すると考えられています。交流分析的にいえば「私はNOT OK、他者はOK」の状態といえます。自分を感じ、尊重し、そして外界との調和を図るのが、健常者といえます。外界とのコンタクトについてパールズは以下のように述べています。

外界とコンタクトを持つということは、ある意味では、ゲンュタルトを形成することと言える。
手を引くことは、ゲシュタルトを完結させるか、完結させるべく努力することである。
プロのボクサーなら相手のあごにパンチを食わせようと手を出すが(コンタクトする)、いつまでも手を出したままにはしない。
つぎの動作で、手を引っ込める(回避)。
もしいつまでも手を出したまま(コンタクトしたたま) であれば、効果もなくなるし、また攻撃を受けることになる。
一方、手を引っ込めて、回避ばかりしていれば、ボクシングにはならない。
このように、コンタクトと回避、そのリズミカルな繰り返しが、我々の欲求を充足する方法であり、絶え間なく繰り返される生命の営みなのである。


(おなけん)

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