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悲しき現状

6月15日付けの「日本農業新聞」の一面に次のような記事が掲載されていました。その中でも印象的だったのは以下の記述です。

市場原理で「切り捨て」
 
農村の過疎化と東京への一極集中は進む。国立社会保障・人口問題研究所の35年までの推計では、人口が増えるのは東京と沖縄しかない。
 
大都市では、ふるさとが無く農村を実感できない世代が増え続ける。名古屋市の大手企業勤めの青年(28)は、インターネットのブログ(日記)で「ふるさとがなくなってもしょうがない」と山間地の限界集落を冷たく見限る。
 
「本人の望みで不便な場所に住んでいるのに、そこにぼくら都会人の税金が使われるのは理解できない」
 
経済効率の物差しから外れるものを、「無価値」「お荷物」と切り捨てる。その風潮は、国政に影響力を持つ経済人や学者の間にも目立つ。

このような考え方をする人が多くなっているのでは、と感じてはいたが、記事を読んでショックでした。山間地の集落に人が住まなくなったら誰が手入れするのでしょうか? 国産の農作物は不要なのでしょうか? 田舎・ふるさとが日本になくなったら、どこに安らぎを感じることができるのでしょうか? 田舎・ふるさとがあるから、がんばれるところはないでしょうか? なんでも競争で、勝てば良いということなのでしょうか? 田舎・ふるさとを守ってくれている人に感謝の意で、わずかな税金を投入することは間違いなのでしょうか?

これからは食の安全・安心がさらに前面に出てくるでしょう。そのとき国産の農産物が水産物がありがたいものであるかを実感できることになるでしょう。これからは農業・水産業の価値が見直されるのではないかと思っています。それによって、適正価格が実現されれば、農水産業は花形産業になるでしょう。

日本での仕事を各自が分担しているということを意識すべきです。自分だけががんばっている・苦労しているわけではないです。それぞれの仕事を各地域で、各自がそれぞれ努力して、みんなに喜んでもらうために働いているんです。あそこは経済効率が悪いから切り捨てれば良い、自分だけ良ければ良いというのは、人間的に病んでいると思います。こういう人には共同体感覚をもって欲しいです。

自分も他人も認められる、そういう心をもって、私自身も、日々生活していきたいと思います。

(おなけん)

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